周辺的でアマチュアでいよう-知識人とは何か
知識人って何?
知識人ってそもそも何か。「何となく物知りで頭良さそうな人」というイメージがあるが、いざ「知識人とは何か」と聞かれると言葉に詰まってしまう。
そんな世の中でなんとなく世間に漂っている知識人という言葉。それを明確に定義し、知識人の役割を論じたのが本書である。
- 作者: エドワード・W.サイード,Edward W. Said,大橋洋一
- 出版社/メーカー: 平凡社
- 発売日: 1998/03
- メディア: 単行本
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内容まとめ
まず筆者は知識人をこう定義づける。
知識人とは亡命者にして周辺的存在であり、またアマチュアであり、さらには権力に対して真実を語ろうとする言葉の使い手である」
この説明を聞いて「なるほど。知識人とはこういう人を指すのか!」と理解してしまう人はあまりいないと思う・・・。
「亡命者? 亡命している人じゃなきゃ知識人は名乗れないの?」
「周辺的存在?どこの周辺?」
「アマチュア?知識人って何かの専門知識があるから知識人なのでは?」
「権力に対して真実を語ろうとする言葉の使い手・・・なんかとっつきにくい」
私はそう思った。
筆者の考える知識人
知識人は強烈な個性をそなえた個人であると述べる。そして、公衆の代わりに思想や哲学を表象(レプリゼント)する存在である。
そして、特定の組織、権力に属して社会的地位を得ている専門家達はその地位と引き換えに大衆へ語りかけることを辞めてしまったとし、批判する。
あくまで知識人は人間の自由とか知識といった普遍的なものを広げていく存在なのだ。
ときに権力者だけでなく、大衆を不快にさせることもいとわない。
そういった普遍的な価値を表象(レプリゼント)するのだから、「われわれ」と「あちら側」という区別をする権力のに属すことはあってはならない。
だから知識人は権力とは離れた周辺にいなければならず、亡命者のようにどこにも属さず、批判的な視点をもって常に表象し続けなければならない。
そうした知識人の圧力となるのが、専門主義(プロフェッショナリズム)である。
専門主義は何々協会といった権威や規範に人を迎合させてしまう。
あくまで知識人は権威や規範ではなく、社会の中で思考し、憂慮する人間なのである。
だからプロではなくあくまでアマチュアでいなければならない。
亡命的でかつ周辺にいるアマチュアだからこそ、権力や規範にとらわれず、普遍的な思想や自由を大衆に語りかけることができる。
それが「権力に対して真実を語ろうとする」姿勢なのである。
かんがえ
本書では知識人が表象する機会は少ないと述べていた(気がする)が、今は個人がソーシャルメディアを使って発言できる機会が多いと思う。
誰もが知識人になりうる状況である。
しかし、表象するチャンスが多い一方で、少しでも誰かの耳が痛くなるような発言をすると、大勢に批判されてしまうことが多い。本書でも述べられているが、マスメディアは聴衆という権威で知識人に圧力をかけている。
ソーシャルメディアではさらにその傾向が顕著だ。
思うに、人ひとりの表象を押し殺すソーシャルメディアではなく、権力に対して健全に批判的なソーシャルメディアでもっとあればよいのでは。
と、なんとなく小難しい本を自分の生活に無理やり結びつけておきます・・・。